住 職 日 記
平成15年 5月分



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5/31
(土)
法事などがあり、夕方までかかりました。
台風は温帯低気圧に変わったということですが、夕方にかなり激しく雨が降りました。思ったより大した事なくてよかったです。
夜、東京ドームで行われた「巨人-阪神」戦をテレビで見ました。昨日は巨人が勝ちましたが、きょうは阪神に勝利の女神が微笑んでくれることを期待しながら観戦していました。しかし、最後まで巨人が優勢で、きょうも負けか・・・と思っていると、同点に追いつき9回表、土壇場で大逆転。なんと9回裏に11点も取り13-5で勝ちました。昨年までの阪神ならば、おそらくこうはいっていなかったでしょう。ほんまもんの強さですね。きょうはゆっくりと眠れそうです。
明日は日曜日。法事などで忙しいですが、頑張ります。

5/30
(金)
檀務のあとお寺さん四名で話し合いがあり参加しました。声明の件での話し合いでした。古来より相伝されているものを如何に若いお坊さんたちに伝えていくかということについてでした。大変有意義なお話でした。
その後、近隣寺院のお寺さん主催の祝賀会に参加させていただきました。楽しいひとときを過ごすことができました。
季節はずれの台風が接近中とのこと。異常気象ですかね・・・

5/29
(木)
鷲林寺の歴史について「密教大辞典」で調べると、資料として「弘法大師弟子譜」という書物が出てきます。この書物は、江戸時代に高野山の僧侶が書かれた、いわゆるお大師さまのお弟子さんについて書かれたものです。この書物を調べたくて、昔から古本屋さんなどで探していました。
ついに見つけてこの度注文し、本日手元に届きました。江戸時代の書物なので、漢文で書いてあり、少々読みづらいのですが時間をかけて読んでいきました。
直接“鷲林寺”のことが書かれているわけではありませんが、ありました・・・お隣の神呪寺を開基された如意尼という尼さんについての項に・・・
この書物によると、気になっていたことが明らかにされていました。探し当てた甲斐があったというものです。近々これについて書いてみたいと思っています。

5/28
(水)
午前中お参りに行き、昼過ぎから高野山にむかいました。本日は声明のお稽古日です。下界は夏日とも思わせる良いお天気で、暑ささえ感じる日照りでしたが、さすがに高野山は涼しく夕方は寒ささえ感じました。
声明は、本日で一応のところが終わり、次回からいよいよ秘讃、大阿闍梨声明・乞戒師声明の伝授声明残すのみとなりました。
帰宅したのは夜中になりました。いよいよ大詰めです。次回からも頑張ります。

5/27
(火)
午前中で檀務を終え、午後から前々から気になっていた本堂の大掃除をしました。普段はなかなかできないのですが、きょうは時間があったので隅々までしました。おかげできれいになりました。何せ、古い建物なのでかなり汚れていました。
きれいになって仏様もよろこんでいただけたと思います。

5/26
(月)
檀務にてお参りに行かせていただきました。一日中、雨が降っていました。もうすぐ梅雨ですね。
今年の梅雨はどうなるのでしょうか・・・毎年梅雨の季節になると思い出します。十数年前、梅雨時期に十分な雨が降らず、夏に水不足となって大変な目にあいました。その頃、鷲林寺は水道がなくて、山の水を生活用水として使っていました。六甲の水ですから、絶対にかれることはなかったのです。しかし日照りの日が続き、水が一滴もなくなってしまいました。六甲の水がかれたのだから、よっぽどの状態だったのでしょう。
ダンプカーにタンクを積んで、タンクに水をいれてお寺まで運び、ポンプで庫裏まで水を送りました。毎日、空にむかって拝みました。“雨が降りますように・・・”
十数日そんな生活が続いたでしょうか・・・天にむかって拝んでいると、ポツリポツリと雨が降り出しました。どれほどうれしかったことでしょうか・・・

私たち人間は自然のなかで生かしていただいている。雨が降らなかったら降らなかったで文句を言い、降ったら降ったで文句を言い・・・それは自分の都合ばかりでものごとを考えるから、自分中心でものごとを考えるからです。
楽しみにしていた旅行に出発する日が雨ならば腹がたちます。しかし、その日が何もない人は雨が降ろうが嵐になろうが関係ありません。同じ雨の日でも、個人個人によって違ってきます。
晴れたら晴れたで感謝をし、雨が降ったら降ったで感謝ができる。そんなおおらかな心を持った人間になりたいと思います。

5/25
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檀務にて一日多忙でした。法事・お墓開眼など。午前11時からのお墓開眼で、市営の墓苑に行くと、同じ区画で同じ時間からの開眼供養がもうひとつありました。隣り合わせのお墓で同時にお勤めするのも何ですから、お先にどうぞということで待っていました。こんなこともあるのですね・・・次の法事まで少々時間があいていたので良かったです。
すべてが終了したのが夕方でした。きょうも一日ご苦労様でした。
もうすぐ6月です。一年が経つのは早いな〜

5/24
(土)
午前中檀務を終え、夕方から近隣寺院の家族で組織する会の総会に参加しました。総会といっても、あくまでも親睦会のこと。少し話し合いをしたあと会食にて楽しいひと時を過ごしました。この会が発足して20年近くなると思います。その頃から比べると皆それなりに年を重ね・・・その頃子供だった人が大学を卒業して一人前の社会人として参加される。時代は確実に前進しているということをきょうも感じました。
明日は日曜日。法事などがあります。頑張って一日一日を過ごしていこうと思います。

5/23
(金)
お休みをもらいました。一日ゆっくりとさせていただきました。とはいうものの、朝はちゃんとしますが・・・
久しぶりに体も心もリフレッシュ。明日からまた頑張ります!

5/22
(木)
午前中に檀務を終え、午後から清荒神 清澄寺の管長さまに、本堂を増改築する準備として、以前から気になっている「麁乱神(そらんじん) 八臂荒神(はっぴこうじん)」についてお話を伺いに行きました。荒神さんといえばこのあたりでは清荒神さんが有名です。約2時間、お忙しいところをご親切にご教示いただきました。
そして、特別に荒神堂の中を拝ませていただきました。すごく立派でした。このお堂で管長さまは、一日三座の行法をお勤めになり、本堂にて一座の行法をお勤めになります。まさに一日中、拝んでばかりの生活です。やはりお坊さんは拝まなくてはならないとお話を伺い痛感しました。

きょうも阪神タイガースは勝ちました。素晴らしいですね。このまま突っ走ってくれたらいいな。

5/21
(水)
例祭日にて護摩を修行しました。護摩のあと、「般若心経」のおはなしを少しずつしているのですが、そのせいかどうかはわかりませんが、少しずつお参りの方が増えているような気がします。
護摩がはじまる前、事務所で受付していると、参拝者のなかに立っているひとりの男性がいました。よく見るとハワイのお坊さんでした。日本に来ているということは聞いていましたが、突然の来坊に少々驚きました。彼も護摩にあい、一緒にお勤めしてくれました。
遠方よりわざわざ来てくれたので、夕食を一緒に食べました。大阪に出て「ハモ料理」をお相伴になりました。おいしかったです。「ハモ」といえば、もう夏ですね。一年のたつのは早いものです。一日一日を大切に生活していきたいと思います。
その料理屋さんも「阪神タイガース」のファンで、本日の広島戦の中継の音が店の中に響いていました。本日も勝利!2位の巨人と7ゲーム差となりました。もしかしてもしかするかも・・・ドキドキします。

5/20
(火)
昨晩泊まった友人は朝食を食べて帰りました。明日はおまつりのため、出雲から山上師がおてづだいに来てくれました。
わたしは檀務にて朝から夕方まで出かけました。本当にいろいろとお世話になります。明日は良いお天気になるようです。頑張ります。

5/19
(月)
檀務で夕方までおまいりに行かせていただきました。夕方から、友人が遊びに来てくれました。久しぶりに来られたので色々な話に花が咲き、夕食を一緒にしようということになりました。夕食でお酒を飲み、結局泊まることになりました。独身貴族なので自由自在ですね(笑)

仏具屋さんが「大般若波羅蜜多経」のサンプルをもって来て下さいました。祈祷殿(護摩堂)が出来上がったことを記念して、「大般若法会」を今年から始めようと思っております。
当寺は戦国時代に織田信長の焼き討ちにあい、仏像類は難を逃れたものの、ほとんどの経典類は灰塵に帰し、まったく残っていない状態でした。「大般若波羅蜜多経」は600巻からなる膨大なお経で、お寺にとれば大切なお経です。これを機に「大般若波羅蜜多経」600巻の新調を発願いたしました。有縁の皆さんに、ご奉納のお願いをさせていただきたいと思いますのでご協力のほどお願い申し上げます。

5/18
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午前10時20分より神呪寺さまの法会があり出仕させていただきました。日曜日ということもあり大勢のお参りがありました。この法会のために何度か練習をしました。その成果がでて、素晴らしい法会となりました。
神呪寺のご住職がご高齢であるということで、本日は副住職さんがお導師をお勤めになりました。副住職さんはご住職のお孫さんで、まだ27歳の若さです。それでも堂々と立派にお導師を勤められました。

夜、阪神・巨人戦をテレビで見ました。昨日も見ていたのですが、昨日に引き続き連勝しました。今年の阪神は“ホンマモン”やと言われる方が多いです。しかし、例年のこともありますから、慎重に発言したいと思います。だけと゛、今年はもしかするともしかするかもしれません。このまま突っ走ってほしいと思います。
本日お参りに行かせていただいたお家のご主人が
「今晩は、甲子園に阪神の応援に行きますんや」
とおしゃっていました。今頃は六甲おろしを合唱しておられるのかな・・・

5/17
(土)
お葬式がありました。94歳のおじいさんです。大往生とはいうものの、ご家族にとれば大切な大切な方でした。100才まで生きてほしかったとのお言葉。お葬式は辛いです。

明日は結衆寺院である神呪寺さま大祭で「中曲理趣三昧法会」を執り行います。正式に略すことなく執り行われますので、2時間弱要します。明日は気合を入れて頑張ります。

5/16
(金)
午前中に檀務をすませ昼ごろより京都に行きました。仏師の松本明慶先生の工房に、先日お世話になった仏像の修理代を納めに行かせていただきました。現在、観音正寺さまのご本尊を製作中で見せていただきました。総白檀製で大変大きなものでした。ほとんど完成に近づいてきたとおっしゃっていました。最近先生は大仏を製作されることが多く、最近ではテレビでも紹介された、鹿児島の大弁才天女の製作が有名なものです。
先生のお部屋に行かせていただき色々とお話を聞かせていただいたりしました。いつものことながら、心が落ち着きました。

松本工房をあとにして、京都国立博物館で開催されている「空海と高野山」展に行きました。前々から行きたかったのですが、なかなか機会がなくきょうになってしまいました。行った方々のお話では、大変な人気で大勢の人でごったがえしていたとのこと。きょうも案の定、大勢の人でした。
出展されている内容も素晴らしく、長い間高野山にいましたが、実物を見るのははじめてという作品も多く、大勢の方が来られることにも納得しました。
1200年の時空を越えて今の世まで脈々と伝わり、人々の心をふるわせる真言密教。弘法大師の偉大さに改めて感動しました。

5/15
(木)
きょうも一日雨でした。まだ梅雨にはちょっと早いと思うのですが、雨が多いですね。
雨の中、檀務にはげみました。夕方までかかりました。
その中の一軒のお宅のガレージでは、毎年つばめが巣をつくります。毎年巣をつくって子供を育てて巣立っていくのを楽しみにしておられました。今年もそのガレージから巣立ったつばめでしょう。何組かの夫婦が帰ってきて、新たな巣をつくりヒナがかえったと聞いていました。
ところが、きょうお参りに行かせていただくと、その家の主人が悲壮な顔でおっしゃいます。
「つばめのヒナがカラスにやられてしまいました・・・」
「えっ・・・・・」
何も言うことができませんでした。
小さな命かもしれませんが尊い命です。せっかく生まれてきたのに・・・可愛そうに・・・

とはいうものの、カラスも生活がかかっています。自分が生きていくためには仕方なかったのでしょう。
弱肉強食の世界のお話を、まのあたりに聞き、この世の無情を改めて感じました。

夜7時からお経のお稽古で、結衆寺院のお寺さんが来られました。来る5月18日が甲山 神呪寺さんの大祭で、年に一度の法会が行われます。そのお稽古と声あわせということでした。皆さん、まじめに取り組んでいただきました。素晴らしい法会が執り行われることを念じつつ。

犠牲となったツバメのヒナたちに・・・合掌。

5/14
(水)
雨が降り続ける中、ちょっとしたドライブにでかけました。というのは、本堂が老朽化してきたということと、手狭なため増改築を考えるようになりました。インターネットを通じて気になるお寺さんがあり、実際にこの目で確認したいとかねがね思っておりました。

たまたまきょうは檀務が少なく、思い切って車を走らせました。行き先は・・・名古屋です。雨の降りしきる中、昼前から名神高速道路を走り一宮インターへ。そこから地道を走って目的のお寺に到着しました。想像通りの建築様式で、大変参考になりました。

その後、ちょっと足をのばして日ごろから懇意にしていただき、このHP上にもきていただくご住職のお寺に行かせていただきました。突然の思いつきだったので、連絡せずにお参りだけさせていただきました。こちらのお寺も落ち着いた雰囲気で、雨にうたれた石畳が美しかったです。

途中すこし休憩をはさみ、西宮に到着したのが午後9時でした。前々からお参りしたかったお寺に行くことができてありがたかったです。増改築はいつの話になるかはわかりませんが、よい参考資料となりました。
5/13
(火)
檀務は午前中で終りました。その中で最近インターネットをはじめたという奥様がおられ、是非当ホームページを見てくださいとお勧めしました。そして、実際につないで差し上げました。大変喜んでいただけてうれしかったです。

そのお家の帰り、車を自坊にむかって走らせていますと、狭い路地にさしかかったところで、フラフラと走っている自転車に遭遇しました。うしろから車が来ていることに気がつかないのか、フラフラしながら、しかも道路のど真ん中を走っています。うしろから見たところ、そうもご高齢には見えないし、どうしたのかと思いながらしばらくの間追走していました。
しかし、あまりにもその状態が続くので、“プッ”とクラクションを一度だけ鳴らしました。するとびっくりしてこけそうになって、あわてて横にどいてくれました。追い抜く際にどんな人だろうと思い見ると、なんと携帯電話でメールを打ちながら走っているではありませんか・・・それも、見たところ50才半ばの“おばちゃん”でした。

最近、携帯電話でメールを打ちながら何かをしている人をよく見かけます。きょうの人のように自転車に乗りながらや、歩きながら打っている人。ひどい人は車を運転しながら打っている姿を見かけます。
確かに携帯電話のメールは便利だし、電話のように無駄話をすることなく用件だけすばやく伝達することができるので便利だと思います。しかし、歩きながら、自転車乗りながら、車を運転しながらメールを打つことだけはやめてほしいと思いました。第一に危険です。

便利になればなるほど、どこかで落とし穴があるものです。事故だけには気をつけましょう。

5/12
(月)
信者会館の改築工事がはじまりました。会館といってもそんなに大きなものではありませんが、法事をお寺でしたいといわれる方が増えてきた昨今、法事のあとに食事もお寺で希望という方が多くなりました。庫裏の広間は持仏堂前ということもありますし、お寺のものも、広間を使われる方もお互いに気を使うということもあり、セパレートされた部屋を作ったほうがよいであろうとの話し合いのもと工事にかかりました。
8畳2間の部屋ができます。ご法事をお寺でしたいというご希望の方には、あとのお食事の件でご迷惑をおかけしておりましたが、気兼ねなくご利用していただけるようになりますので、もうしばらくお待ち合わせください。
約1ヶ月強で使用できるようになると思います。

春になりました。大変よい季節です。檀務は久しぶりにスクーターで行きました。春の風をいっぱいに吸いながらスクーターで風を切って走りました。爽快でした。この好季節、しばらくの間春の空気を十分に満喫して快適に暮らしたいと思います。

5/11
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きょうも昨日に引き続き一日中走り回りました。法事・お墓の開眼などなどでした。しかし、朝から雨模様でした。お墓の開眼は当然、外ですので大変でした。だけど、地固めというか降り込みというか古来からこういうときに雨がふれば吉とされますよね。
午後6時から西宮市保護司会の会長さんが新たに決まり、その方が私の所属する総務部の出身の方で、総務部でお祝いしようということになり参加させていただきました。
平日は落ち着いた店なのですが、きょうは日曜日で、しかも母の日ということで超満員。私たちは予約していたので席はあったのですが、料理がなかなか出てこないという状態で、終ったのが10時前でした。お疲れ様でした。

きょうは母の日。母には健康茶を送りました。いつまでも元気で長生きしてほしいと思います。

5/10
(土)
檀務にて一日中走り回りました。10日は京都方面への月参りがあります。京都は遠いのですが、お参りさせていただくと、

「遠いところ、いつもいつも  おおきに」
とにっこりと笑っていただく。その笑顔で、遠い道のりのことも忘れてしまいます。

毎月思うのですが、笑顔は大切だと。遠いところ時間をかけてお参りに行かせていただいて、むっすりとされたら疲れも二倍三倍にふくれあがることでしょう。だけどニッコリと笑われると疲れも吹き飛んでしまいます。

人に笑顔で接する功徳を仏教では「和顔施」といいます。大切なことですね。

5/9
(金)
本堂の雨漏りを修理するため屋根屋さんが来て下さいました。本堂の屋根はかなり勾配がきついので命綱をしての作業です。夕方に完了しました。
雨漏りの原因を調べるために屋根裏にものぼられました。わたしも住職になって随分と時間が経過しますが、屋根裏にのぼったことがなかったので、いい機会と思いのぼらせていただきました。さすがに昔の建物だけあって、太い立派な材木が使われていました。きっと、鷲林寺に生えていた木々を使ったのでしょう。棟板を発見しましたが、それによると昭和5年の建物であると書いてありました。70数年も経っている建物だったのですね。

夕方から声明の勉強で高野山に向かいました。午後7時頃から午後9時頃まで勉強しました。
振り返ると18歳のときに高野山大学の授業で声明に出会い、それをご縁として2回生のときに中川善教先生に教えていただくご縁をいただきました。大学卒業後もちょくちょく中川先生について習っていました。特に昭和63年6月より半年ほど毎週月曜日・火曜日に高野山まで通いなさいと言われ必死で通いました。しかし、もう少しで終わりというときに体調を崩され、平成2年3月26日に遷化されました。
その後、中川先生から免許皆伝された今の先生にお世話になりはじめたのが平成2年夏でした。教える限りはまた一からやり直しということで、テキストの最初からやりはじめました。その頃は、自坊も忙しくなってきて、月に一度・二度というペースになった時期もあり、なかなか前に進まず、その後平成7年1月17日の阪神淡路大震災に遭遇してストップしてしまいました。
落ち着いてから再会して、ようやく今に至っています。声明と出会ったときから数えて25年、今の先生に習い始めてからでも15年の時が経過しました。

中川先生の言葉を思い出します。中川先生の声明の一番弟子であった倉敷の井上先生という方がおられました。井上先生は中川先生よりも早く亡くなられたのですが、そのことをひどく悲しんでおられました。井上先生のことを時に思い出されてよく話してくださいました。

井上先生に声明を教えはじめて、最後の印信を渡すまで(免許皆伝)30年かかりました。やっと終ったと安心した次の年、病気で亡くなってしまわれたと・・・
よほどショックであったのでしょう。何度も何度もその話を聞かされました。

人間、ひとつのことを完成させるためには永い永い年月が必要ということです。わたしはまだまだ未熟なものでありますが、ご縁あって勉強しはじめたこと。何とか最後まで聞きたいという一念で今まできました。あともう少しです。とはいうものの、あとどれだけ時間がかかるかわかりませんが、自分の全精力をかけて精進していきたいと思います。
5/8
(木)
バケツをひっくり返したような大雨とはきょうのようなことを言うのでしょうか・・・それにしても激しい降りようでした。
朝方3件お参りに行かせていただき、午前10時30分から保護司の総会に出席しました。大勢の方が参加されていました。永年にわたり西宮地区の会長をお勤めしていただいた先生が退任され新しい先生が会長に就任されました。
総会のあと檀務にもどりました。夕方には雨はやんでいましたが、それにしても激しい雨でした。
5/7
(水)
午前中に檀務を済ませ、午後から神戸に行きました。きょうは、高野山真言宗兵庫青年教師会の総会が開催され出席しました。この季節、総会が目白押しです。
青年教師会が発足したのは、わたしが高野山から帰ってきたその年でした。今年で21年目になります。21年も経つとメンバーもすっかり若返り、一番年下であった私が、一番年上の年齢になっています。時代が変わったな・・・というのが実感です。
今年は、役員改選の年で、会長さん以下諸役が変わりました。つい先日まで一戦で活動していたつもりでしたが、会計監査に指名されました。会計監査は、年寄りの役目・・・またまた時代が変わったな・・・と思いました。

総会が終って懇親会。その後、それぞれのグループに分かれて三宮方面に消えていきました。わたしはというと・・・若いグループには混ぜてもらえず、年寄りのグループには少し早いということで、誘ってもらえませんでした。ちょうど中途半端な年齢に達したというのでしょうか、結局2級先輩の方に声はかけてもらったものの、家路につきました。その先輩も、感じることは私と同じで、年下の人からはけむたがられるし、年上の人とは少し早すぎるし、結局ひとりでブラブラして帰るわ・・・と言っておられました。

わたしも今年で43歳になりました。青年教師会は45歳までです。あと2年間、青年教師と呼んでいただける間、精一杯活動して行きたいと思います。
なんだか、しめっぽい話になってしまいましたが、本当に中途半端な年齢です。
5/6
(火)
朝方檀務を済ませて、午後から出かけました。子供を連れて王子動物園まで行きました。ゴールデンウィークはどこにも行けなかったので、きょう行きました。大勢の幼稚園児が来ておられました。
その後、麻耶山天上寺さまに参拝に行きました。天上寺さまは、六甲参詣の摩耶山に位置しますが、二十数年前に浮浪者によって放火され、伽藍がすべて消失するという大惨事にみまわれたお寺です。その後、現住職を中心に、金堂・鐘楼・持仏堂・本坊などなど、次々と諸堂を再建されました。そしてこの度、摩耶山のシンボルである摩耶夫人堂を完成されたのです。大惨事から二十数年間、ただただ復興のみに全力投球され、見事な伽藍を完成されました。

ちょうど、副住職さんがおられ、お堂のすべてを拝ませていただくことができました。過去に数度お参りさせていただいたことはありますが、改めてじっくりお参りさせていただくと、素晴らしいものでした。大変勉強になりました。

しばらく続いた晴天も今夜からくずれ、雨が降り出しました。明日は雨模様になるようです。久しぶりの雨のような気がします。
5/5
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ゴールデンウィーク最終日。法事などの檀務で朝から夕方まで多忙でした。
ゴールデンウィーク中、良いお天気に恵まれよかったと思います。しかし、SARSやイラク戦争の影響を受けて、海外旅行組も少なかったとのこと。この影響を受けて国内旅行組が増えるだろうと白浜温泉あたりは、かなりの期待をもっておられたそうですが、これも期待はずれ・・・結局、地元の海岸や山にでかける家族が多かったとか・・・これも長期の不景気が影響している減少なのでしょう。

それにしても阪神タイガースは強いですね。このまま突っ走ってくれたらうれしいのにな。一度甲子園球場に行ってみたいと思っています。
5/4
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きょうは法事などが多くありました。朝から夕方まで走り回りました。
法事のあとは短くてもいいからちょっとしたお話をさせていただいております。この頃は定着してきたのか、お経が終ったあとも動かずにお話を待っていてくださるようになりました。つたないお話でも楽しみにしていただけること、感謝しております。

夜7時30分から総代会を開催しました。本堂の雨漏りがひどく、その工事についてと、信者会館の改装工事についての相談をさせていただきました。雨漏り工事は早急にしていただくことになり、信者会館の改装工事につきましても承認を得ました。

会議のあとで色々とお話しを聞かせていただきました。当山の総代さんは年配の方が多く、いずれも戦争経験者です。イラク戦争についての話から、自分たちが少年時代のときの戦争体験談へと展開していきました。当時、西宮市には予科練や軍事工場がありました。現在の関西学院が予科練で、仁川競馬場が軍事工場だったということです。B29が予科練や軍事工場を攻撃するために六甲山を越えて飛んできたそうです。そのルートがちょうど鷲林寺の真上を通ったということです。その頃、鷲林寺村ではキュウリをつくっている季節で、すずめなどにキュウリが盗られないようにカカシを立てていました。B29はそのカカシを人間と間違えて“バリバリバリ”と轟音をたてて撃ったということです。恐かった・・・と言っておられました。

こんな戦争体験談を話せる人間も我々が最後かもしれない。よく覚えておいて後世に伝えていかなくてはならないお話だと思いました。

このような歴史があったからこそ、現在があるということに感謝することを忘れてはなりません。
5/3
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法心寺さまの落慶法会が執り行われました。法心寺さまは西宮北口近辺にあり、あの阪神淡路大震災の被害をもろに受けたお寺です。西宮市では特にこの地区の被害が大きく、法心寺さまはお寺が全壊したばかりではなく、先住職の奥様が犠牲となられました。あれから8年絶った今、本堂・庫裏・護摩堂・山門などの境内整備が整い、新生法心寺として生まれ変わりました。
お導師さまとして高野山より三宝院ご住職をお迎えし、結衆寺院・法友寺院があい集い、法会を執り行いました。抜けるような青空のもと、素晴らしい法会でありました。
今後益々のご隆昌をお祈り申し上げます。
明日は、法事が3件・墓開眼が1件・月参りなども少々あり、多忙な一日となりそうです。
世間はゴールデンウィークで、遊園地やテーマパークは家族連れで超満員とのこと。私たちお坊さんは、お休みというと法事をされるご家庭が多く、ゴールデンウィークにどこかへ出かけるなどは夢のまた夢・・・
まぁ、ゴールデンウィークはどこに行っても人を見に行くようなもの・・・と自分に言い聞かせて我慢しましょう。またいいこともたくさんあるでしょう。それを楽しみに心を込めてお勤めさせていただきます。
5/2
(金)
午前中に檀務をすませ、京都 東寺に行きました。明日、結衆寺院のお寺の本堂落慶法会があり、その法会に必要なものをいただきに行きました。東寺もすっかりと春を迎え、新緑で美しかったです。ちょうど、宝物館が開いていて案内していただきました。さすがにお大師さまがおられたお寺です。由緒正しきたくさんの宝物が陳列されていて、時間のたつのも忘れてしまうほどでした。また、東寺の塔頭寺院(子院のようなお寺)のひとつである観智院も拝観することができました。観智院は国宝になっているお寺です。はじめて入らせていただきましたが、京都らしい静かな落ち着いた雰囲気のお寺でした。
明日は結衆寺院の落慶法会です。良いお天気になればいいなと思っています。
5/1
(木)
きょうから5月に入りました。もはや1年の3分の1を過ごしてしまいました。何もしないうちにあっという間にきょうになったような気がします。あれもしたい、これもしたいという計画はたくさんあるのですが、なかなか手につきません・・・

この日記を読んでいますという方が多くなってきました。なかには、お坊さんの私生活が知れて楽しいという内容のメールをいただいたりしました。大変励みになりました。
 
きょうは檀務にてお昼過ぎまでかかりました。午後から市役所の人など、来客が多く対応に追われていました。というわけで、きょうも計画は達成できず・・・明日を迎えることになりました。